豊田小学校 校歌
希望の光 高麗 弥助 作詞
鈴木 猛 作曲
一、鳥が 呼ぶ
朝の 梢に 声高く
みな 羽ばたいて 新しい
希望の光 ランランと
空に 輝け われらが母校
ああ 豊田 豊田 小学校
朝の 梢に 声高く
みな 羽ばたいて 新しい
希望の光 ランランと
空に 輝け われらが母校
ああ 豊田 豊田 小学校
二、水が 呼ぶ
多摩の 流れに 雲遠く
富士も そびえて たくましい
心の芽生え ランランと
空に 伸び行け われらが母校
ああ 豊田 豊田 小学校
多摩の 流れに 雲遠く
富士も そびえて たくましい
心の芽生え ランランと
空に 伸び行け われらが母校
ああ 豊田 豊田 小学校
三、友が 呼ぶ
学びの 庭に 音高く
揃う足並み 育てよう
民主の国を ランランと
空に 陽も 照る われらが母校
ああ 豊田 豊田 小学校
学びの 庭に 音高く
揃う足並み 育てよう
民主の国を ランランと
空に 陽も 照る われらが母校
ああ 豊田 豊田 小学校
作詞者 高麗 弥助
こうま やすけ
作詞者のことば
豊田という地名が語っているように、豊田には広い田んぼがあって、多摩地区としては、いの一番に耕地整理をやってのけたすばらしい地域である。(中略)
中央線が堀之内から豊田にぬけて通るようになりそうだったが、当時の豊田の人達が美しい田んぼをふみつぶされては困るからがんばって、設計 変更になった。(中略)
私のつたない詩が、いく分なりとも皆さんの心の支えとなり得たとしたらこんなうれしいことはない。
ありがとう、豊田よ水よ、
心豊かな豊田の人達よ。
豊田という地名が語っているように、豊田には広い田んぼがあって、多摩地区としては、いの一番に耕地整理をやってのけたすばらしい地域である。(中略)
中央線が堀之内から豊田にぬけて通るようになりそうだったが、当時の豊田の人達が美しい田んぼをふみつぶされては困るからがんばって、設計 変更になった。(中略)
私のつたない詩が、いく分なりとも皆さんの心の支えとなり得たとしたらこんなうれしいことはない。
ありがとう、豊田よ水よ、
心豊かな豊田の人達よ。
作曲者 鈴木 猛
すずき たけし
すずき たけし
作曲者のことば
今はもうたくさんの家が立ち並ぶ、にぎやかな日野になってしまったけれど、当時は豊田の名の示すごとく、青い田が一面に広がる、それはそれはすてきな所でした。
学校はもちろん木造でしたが、当時としてはモダンな建築で…戦後のことで、暗い混乱期からようやく立ち上がった日本、豊田小学校の皆さんが、たくましく希望をもってのびてもらいたいと願う気持ちで曲をつけました。
今はもうたくさんの家が立ち並ぶ、にぎやかな日野になってしまったけれど、当時は豊田の名の示すごとく、青い田が一面に広がる、それはそれはすてきな所でした。
学校はもちろん木造でしたが、当時としてはモダンな建築で…戦後のことで、暗い混乱期からようやく立ち上がった日本、豊田小学校の皆さんが、たくましく希望をもってのびてもらいたいと願う気持ちで曲をつけました。
校歌について
校歌は、昭和24年(1949)年にできました。
作詞は以前日野小学校に勤めていた高麗 弥助先生、 作曲は八王子の小宮小学校の鈴木 猛先生です。