学校の沿革
校名の由来について
明治6年5月12日、高幡、三沢、落川、百草、程久保の五ヶ村が共同して、当時の三沢村医王寺に「潤徳学舎」を開校した。この「潤徳」の名の起こりについては、中国の古典大学の中にある「富は屋を潤し、徳は身を潤す」からとったものであろうといわれている。かつて、いくたびか校名を新たにする話が起こったが、地域をはじめとする多くの人々のねがいや支えにより「日野市立潤徳小学校」として現在に至っている。
沿革の概要

明治 6年 三沢村医王寺に潤徳学舎が開かれた。
明治 7年 三沢村土方篠三郎氏方に潤徳学舎を移した。
明治 8年 潤徳学校と名前をかえた。 落川村真照寺に潤徳分学校(後の照景学校)が開かれた。
明治11年 現在の農協七生支所の所に新しく校舎を建て移った。 
明治20年 潤徳尋常高等小学校と、名前がかわった。
明治22年 七生村立潤徳尋常高等小学校と、名前がかわった。 
明治26年 七生村立潤徳尋常小学校と、名前がかわった。
明治34年 七生村立潤徳尋常高等小学校と、名前がかわった。  
明治42年 照景潤徳尋常高等小学校が、七生村立潤徳尋常高等小学校の落川分校となった。
昭和16年 七生村立潤徳国民学校と名前がかわった。
昭和18年 教室がたりないので2部授業をした。東京府が東京都となった。
昭和22年 七生村立潤徳小学校と名前がかわった。
昭和27年 開校80周年を記念して校歌ができた。
昭和33年 日野町立潤徳小学校と名前がかわった。子どもが増えて職員室まで教室にした。
昭和34年 完全給食がはじまった。 現在地に新しく校舎ができて、1,3,6年が三沢から移った。
昭和35年 2,4,5年が三沢から移った。
昭和36年 プールができた。
昭和38年 開校90周年を記念して鼓笛隊ができた。日野市立潤徳小学校と名前がかわった。
昭和41年 今の鉄筋3階建ての校舎ができた。 落川分校をなくした。
昭和43年 ほほえみの丘ができた。
昭和44年 体育館ができた。第八小学校ができて、学区がかわり一部の子どもが移った。
昭和45年 百草台小学校ができて、学区がかわり一部の子どもが移った。
昭和48年 開校100周年のお祝いをした。
昭和49年 南平小学校ができて、学区がかわり一部の子どもが移った。
昭和52年 程久保小学校(現在の夢が丘小)ができて、学区がかわり一部の子どもが移った。
昭和55年 潤徳学童クラブができた。
昭和58年 開校110周年のお祝いをした。造形用砂場ができた。
平成  4年 ランチルームができた。
平成  5年 裏庭に、観察池やとんぼ池ができた。開校120周年のお祝いをした。
平成13年 校庭排水ポンプ設置した。東玄関を改修した。図書室を普通教室(2教室分)に改築した。 
平成12年 国土交通省「水辺の楽校プロジェクト」全国学校ビオトープ優秀校受賞
平成15年 校舎耐震補強工事(南校舎)始まる。 
平成16年 給排水管工事。防犯カメラ設置。
平成17年 屋上防水工事。北校舎改修工事。市研究奨励校研究発表。
平成18年 新校舎建設工事。ICTモデル校発表。 
平成19年 日野市特別支援教育パイロット校。日野市教育委員会研究課題校。ICT校務支援推進校。
                増築校舎(図書室、パソコン室) リソースルーム完成。
平成20年 日野市教育委員会研究課題校・理科デジタル教材活用モデル校 
平成21年 プール改修
平成22年 教室改築 学級増(25学級)のため 2年連続全国ホームページ大賞都道府県等優秀校
                8年連続東京都よい歯の学校優秀校
平成24年 全教室エアコン完備  日野市かかしコンテスト入賞 東京消防庁より感謝状
                東京都よい歯の学校優秀校
平成25年 開校140周年  PTAより屋外の大時計・昇降口靴箱塗装等の寄贈
平成26年 日野市研究奨励校指定 算数科                                         令和5年 開校150周年 体育館エアコン設置
       熊本県上益城郡山都町立潤徳小学校との「東西潤徳小学校コラボレーション」が日野市教育委員会特色ある
       学校づくり推進事業の対象として指定(山都町立潤徳小学校は、令和5年度末閉校。両校の「友情の旗」を
       受領。)                                                 令和6年 「Jyuntoku Dream Teacher’s Academy」が日野市教育委員会特色ある学校づくり推進事業の対象として指定