日誌

戦後80年に想う・・・

今日の2時間目、6年生を対象とした「平和講演会」が開催されました。

今年は戦後80年ということもあり、8/15の終戦記念日の前後に新聞やテレビで多くの特集記事、番組などが見られ、子供たちの意識も例年より高いように感じます。

 

お話しいただくのは、「くにたち東京大空襲体験伝承者」の講師の方です。

「平和のバトンをつなぐ」とのタイトルで、実際に東京大空襲で被災された方の体験に基づいてお話しいただきました。

 

写真は、当時の教科書ですが、戦争のことだけでなく、当時の子供たちの生活にも触れていただきました。

教科書はあるものの、戦争が激しくなると、事実上休校状態だったので、勉強したいとの思いが強かったとのことです。

 

東京大空襲のあった昭和20年3月9日から10日、当時は、木造家屋がほとんどだったため、防空壕に隠れていても、あっという間に焼夷弾の火が燃え広がったそうです。

そのため、防空壕から出て、外に出て避難したそうです。

両親とも離れ、兄妹で逃げなければならなくなりました。

全身が炎に包まれながら逃げる人ともすれ違いました。

お父さんと再会し、お父さんに抱きかかえられながら一晩を明かしたそうです。

朝になると、お父さんの上に折り重なっていた人々はみんな炭になっていたとのことです。

周りは、全ても燃え尽くされ、煙で、白いもやがかかっていたように見えたとのことです。

 

1931年の満州事変に始まり、15年にわたる戦争を続けていた日本。

当時の子供たちは、戦争をしていることは当たり前という感覚だったとのことです。

平和な環境下で暮らしてる6年生たちにとっては、想像もできないことだと思います。

後半は、クイズなども交えながら、東京大空襲の実像に迫りました。

講師の先生「どうして、これだけ大きな被害が出たんだと思う?」

6年生A「木の家が多かったから。」

6年生B「たくさんの人が集まり過ぎていたから。」

それに加えて、空襲警報のサイレンが鳴ることが遅れたことや、初期消火を必ず行わなければならなかったため、逃げ遅れた人が多かったことなどもあったと解説がありました。

1発で周囲を800℃以上の高温にしてしまう焼夷弾が一晩で32万発以上投下されたと伺い、あまりの悲惨さに胸が苦しくなる思いがしました。

戦争の被害に遭われた方々の高齢化が進み、こうして、伝承者の方々が戦争を語り継ぐ時代となりました。

6年生たちが次の伝承者になり、「平和のバトン」をつないでいくことが大事です。

現在もウクライナやパレスチナで戦争により命を落とす人々のことが連日報道されており、80年経っても世界平和は実現できていないのが実態です。

6年生たちは、2学期に社会科で戦時下の状況を詳しく学んでいくことになります。

受け身ではなく、積極的に平和を守る大人に成長してほしいものです。【校長】