学校の沿革
学校の歴史2. 昭和27年~36年

 1952 昭和27, 10, 1  第二代校長 尾崎半次郎着任
 増築工事に着手。予算455万円
 1953 昭和28, 6, 10  校地850坪拡張。北に2階建て6教室及び便所工事完成。教室数23
 ついに待望の2部授業解消が実現した。
 音楽、図工、図書の3教室を設置することが出来た
   6, 13  増築落成記念展覧会を催す
   6, 14  記念講演会を催す。講師宗像誠也東大教授
   8,   初めて町で臨海学校を開設。千葉県西岬にて4泊5日
 1955 昭和30, 4, 1  東京都南多摩郡日野町立日野第三小学校と名称を変更
 東京都南多摩郡日野町日野5288番地
 1956 昭和31, 6,   PTA校舎増築促進委員会及び給食対策委員会を作る
   6, 10  大蔵省所有の旧校舎取り壊し作業始まる。 (旧教室4教室分)
 都のキッチンカー来校
 PTA給食実施について町当局に誓願
 1957 昭和32, 3, 4  大蔵省所有の旧校舎跡に、特別教室6.職員室.校長室兼応接室. 
 保健室.宿直室の工事完了 教室数25児童数869名
   8,   給食調理室工事入札
   10, 7  給食調理室工事完成・給食作業員4名配属される
   10, 21  学校給食(給食A型週5日)開始給食費月330円
 1958 昭和33, 2,   日野町と七生村と合併、新たに日野町発足
 PTA校地拡張プール建設の特別委員会設置
 プール建設工事入札。
 施工は羽田ヒューム管株式会社に決定建設工事費4,197,937円
   8, 3  プール落成式(大小プール)並びに祝賀会を開く
 関東ローム層の直上にあり、土壌の軟弱を補強するために長い
 コンクリートの柱を何本も打ち込んだ。他校のプールよりも多くの
 費用を要した。
   10,   多摩平地区3,4年生を受け入れ
 1959 昭和34, 3,   校地1,100坪拡張される
   4, 1  第三代校長 五十嵐葆光着任
 甲州街道以南の学区内児童、本校より日野第五小学校に編入される
 日野町立日野第五小学校開校に伴い、甲州街道以南の学区内児童は
 同校に転出した。
 ただし、同校の校舎が未完成のため、本校に同居して授業を開始する
   5, 11  昭和34年度東京都小学校理科教育研究協力学校に指定される
   6, 8  日野第五小学校児童職員が新校舎に移るので 送別会を行う
   6, 28  プール付帯工事完了工事費595,420円鶏舎完成
   11   水生植物の観察池及び小鳥舎を作る
   12   本年よりストーブ燃料として石炭よりコークスに変更
 1960 昭和35 2,   東京都小学校理科教育研究協力校として全都を対象に研究発表会を開く
 来客者200名を超える盛会だった
   4,   日野町特殊学級が本校に設置される。開級は9月の予定
   5,   日野町特殊学級設立準備委員会発足
   6, 10  開校10周年記念日を迎える
 開校10周年記念式並びに祝賀会を行う
 日本学校安全会が発足し、本校全児童が加入した
   7,   特殊学級希望児童のテストを行う
   8,   特殊教育対策委員会にて、入級児童を決定。教室を塗装する
   9, 1  特殊学級(原田学級後のひばり学級)
 開級式(IQ60以上3年生以上)
   10, 9  開校10周年記念大運動会を挙行する。初めて煙火を打ち上げた
   10, 11  航空写真を撮影。運動場に「ヒノ三」と人文字を書く
 1961 昭和36 2, 14  特殊教育第一年度報告会を行う