学校の様子

2015年7月の記事一覧

日野食べるべからず その2

昨日に続き、大成先生の出された「理科室の窓」より…

夏においしいきゅうり。

体の熱を冷ます働きがあって、これからの季節、食べるのをおすすめする夏野菜の代表選手のひとつです。

日野の一部の地域ではこんな習慣があったそうです。

日野食べるべからず その1

平成20年、当時理科専科だった大成先生(現在も理科の授業でお世話になっていますね)が出されていた「理科室の窓」というおたよりからです。

土用の丑の日、うなぎを食べる習慣が広く根付いています。

今年は土用の丑の日が2回あって、7月24日と8月5日だそうですね。

日野の一部の地域では、次のような伝承があるそうです。

児童集会(7月13日)

先週とはうってかわってこの夏空。

朝から梅雨が明けたと思わせるような気温です。




今日の朝会では、副校長先生からお話がありました。



副校長先生のお話

今日は、日野第八小学校のこの地域で活躍された絵描きさんの話をします。
小島善太郎さんといいます。小島さんはもう、亡くなっているのですが、百草の丘の上に、今でもおうちが残っています。
川崎街道から急な坂を、百草方面に登っていくと、京王百草園と八幡神社がありますが、底から少し進んだ下り坂、それを少し下ったところに、小島善太郎さんのお家があります。


小島善太郎さんは明治25年、新宿に生まれました。30歳でフランスのパリに留学し、39歳で仲間と一緒に「独立美術協会」というグループを創りました。78歳で、多摩丘陵の山々が見渡せる百草の丘の家に絵を描く仕事部屋を作りました。
小島さんは、昭和59年91歳でなくなるまで、ここで四季の風景を描いたり百草園の梅の花を描いたりしていたのです。




実は小島さんは、今の季節に果物屋さんに並んでいるある果物を描くのが大好きでした。桃の絵です。
「あのやわらかい質感と、微妙で豊かな色が私を夢中にさせて、もっとおいしそうに描きたい、ジューシーに描きたい、と寝ている間も考え、朝になるのが待ちきれなかった」とおっしゃっています。
そんな桃の絵の、貴重な1枚が実は日野第八小学校の校長室になるのです。
昭和52年3月、地域の小学校である八小に「ぜひ飾ってください。」ということで寄贈してくださったのです。
今度校長室に来ることがあったらぜひ、桃の絵を見てください。


百草の山の上にある小島善太郎さんの家は、現在は小島善太郎記念館として一般開放しています。土日、祝日だけ入ることができます。午前10時から午後4時まで入れますので、機会があったら、ぜひおうちの人と一緒にいってみてください。

避難訓練

大きな地震が来た、という想定で避難訓練を行いました。


800人近くの人たちが校舎から避難してくるのでなかなか大変です。


でも、八小の子供たちは、お・か・し・も、の約束を守って素早く避難してきました。


中でも、一番最初に避難してきたたちばな学級のみんなは全員がそろう4分半の間、静かに待っていることが出来ました、すばらしいですね。

教室の配置の関係でどうしても時間がかかってしまう学級、いつも教室でないところで授業をしていたので慣れないところから避難してきた学級もありますがどの学級も、先生の指示をよく聞いて、また日頃から先生に言われていることをよく思い出し考えて避難訓練に参加しました。


私たちの訓練の直前、みさわ保育園のみなさんも今日は避難訓練をしていました。

今日は、二次避難場所の八小の校庭まで避難してくる設定だったようです。

保育園のみなさんの、小さくても、静かに整然と避難している姿に感心しました。

なかよし給食

今年度初めての、なかよし給食を行いました。

1年生から6年生と、たちばな学級の子供たちで編成された、なかよし班ごとに、各教室で給食をたべました。


普段、一緒に給食を食べる機会のない、職員の方々も、各班に入って、一緒に給食を食べました。

子供たちは決められた仕事をしっかりこなし、協力して楽しく給食を食べることができました。