校長室だより

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東日本大震災から10年がたって

         10年がたって

3学期が始まり、立春が過ぎ、今、びっくりするくらい日差しが明るくなりました。

学校教育もコロナ禍の影響を大きく受け、右往左往した一年でしたが、季節はきちんと巡り、八小の校庭にも春の様相が見られるようになりました。

二か月に渡る緊急事態宣言も、解除の動きになってきました。本当の春が待ち遠しい気分になります。

さて、日本に未曽有の被害をもたらせた、3.11 東日本大震災が起こってから10年がたちました。あっという間のような気がします。と同時に、学校で体験した地震の揺れの大きさと怖さ。それから連日のように報じられた各地の被害の様子は、10年たった今でも鮮明に思い出すことができます。

私は震災の3年後に、被災地、特に南三陸地方中心に研修として訪問しました。東京はすっかり震災前の日常に戻っていましたが、被災地は、ただただ重機が入っている土(土地とはとても言えない状態)が広がっていました。倒壊した建物も衝撃でしたが、被害を免れた高台の建物や、広がる黒い土の端から突然、普通の家々が立ち並んでいる光景も不思議な物でした。すべてが2011年の日本とは思えないような光景で、言葉がなかったことを思い出します。

タクシーの運転手さんの「最近は、マスコミはあまり来なくなりました。ここの人はどの人も全員が被災しています。マスコミは上手に編集をしていきますが、テレビの映像では見えないところにも、様々な悲しみや苦しみがあり、いろいろな思いがあるのです。」という言葉がとても重く心に残っています。

今はずいぶん復興が進み、鉄道が再開したり、町や商店街が新しい活動を始めたりというニュースも聞かれます。ここまでくるには、どれだけ多くの努力や、頑張りや、励ましや、支援や、熱意があったことでしょう。自分が背負ったものと対峙しながら、一人一人が前を向いて立ち上がった力はすごいなと思います。そしてその力は、今も完全な復興に向け、持続されているのです。新しい喜びや力は、そこにいる全員の人が、誰一人残らず享受すべきものだと思います。

新型コロナウィルスも、世界を混乱に陥らせました。学校に通う児童一人一人も、苦労や我慢を強いられました。表面にはでてこなくても、児童の心情をくみ、共感する気持ちと、楽しさや明るさは、どの子にも等しく与えられなければならないと、災害の種は違えども3.11の日を迎え、改めて感じています。

最後に、東日本大震災下でも、コロナ禍でも、人のために身を挺して職務に取り組んでいる医療関係者はじめ多くの職種の方々に敬意と感謝を贈りたいと思います。
           日野市立日野第八小学校 校長 松永 式子